見直される「市民の声」としてのブログ

個人では誤ることもあるかもしれないが、人々が集まってできた集合体ではおそらく間違わないだろう。ある時点から、ニュースは一方的な講釈ではなくなった。対話になったのだ。何がニュースであるのかを一方的に伝えるメディア大手に代わり、われわれが調和のとれた集団として判断し、面白いと感じる記事や投稿へのトラフィック量を増やすことで、出版側への評価とする。

Blogなどで、記事を引用してコメントすることで、個々の意見には誤りがあるかもしれないが、そのコメントの集合は、正しい意見になるという解釈は面白い。